『narcissu 3rd - Die Dritte welt-』

実は某店にて予約していました。
ここ香川県では販売する事などないだろうという事で、予約していました。
届いたのが28日。一気にドバーッとプレイしてしまいました。


ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、
narcissu』はステージ☆なな様からリリースされたビジュアルノベルゲームです。
作品では一貫して「死生観」というテーマが通っています。
この度、3作目が発売されるということを聞き、思い切って購入してみました。
……け、けっしてごぉ氏や早狩氏が参加しているから買ったわけじゃないんだからねっ!!


作品の内容について、語るのにはまだ早いと思いますので、個人的に感じた事をつらつらと書かせて頂きます。


4名の方が『narcissu』の世界観を用いて、各ライターさんの描く「死生観」を紡ぎ出しています。
それぞれ力点を置いている場が違うので、比較する意味ではとても参考になるのではないかなぁと。
「死」んでもなお、存在を忘れないでいる事。
「死」へ向かうことは、何でもない事。
「死」とは、誰でも平等に訪れる事。
「死」の意味を、問い続ける事。
その他、もろ。もろ。もろ。
何だか色んな事を考えさせられました。
また、こういう類のビジュアルノベルをプレイしていて声出して泣いてしまったのは初めてです。
お、おかしいな。僕ってこんなに涙腺弱かったっけな。


昨年末、後輩を交通事故で亡くしました。
唐突に訪れた死という事実を受け止め切れなくて、とても困惑した事を思い出します。
「おい、N! 何で死んじまったんだよ――!」と。
告別式にて、彼の親友が発した言葉が、耳朶から離れません。
「死」というものは、日常ではありえない事であり、存在が消滅するという事はとても悲しい事。
だけど。
死は平等に訪れる。
不老不死なんて有り得ない。


彼が死ぬのも、僕が死ぬのも、それは決められた事でも何でもなく。
いつか、当たり前のように用意されているだけなんだなと。
ただそれが、何時になるかの話で。どうやって終末を迎えるかであって。
もし、「死」という終わりが見えても、それにどう向き合って行くのかであって。
ただし、彼が残してくれた物だけは、思い出・過去・沢山の記憶。
それだけは自分の中に厳然と残っていて。
もし、彼が亡くなっていなければ、ひょっとしたらそのメモリーはどこかへ消え失せていたのかも知れない。
その死は、そんな記録の残照を拾い集めてくれる出来事だったのかも知れないと、おこがましくも思ってしまった。
この作品をやってみて、そんな他愛も無い事を思い浮かべていました。


最後に。
僕自身の死生観は早狩さんに近いものがあるんだろうと思います。
だからこそ、彼女からの声掛けに対する怒りも「共用」出来たし。
まぁ、うん。きっとそういう事なんだろうと思う。


しかし、本当に他愛も無い事っていうか。あんま真に受けないでね、と。